白昼観測記
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落日(重いです)
昨日、16年間居た猫が亡くなりました。
久々の記事が悲しい話題で申し訳ないですが、落ち着く為にも書こうと思います。 無理そうな場合はバックしてください。 平均寿命を超え、猫が老いてきているのは重々分かっていましたが、目も耳も鼻も良く、ずっと元気で気力も食欲も十分すぎるほどで。 あまりに突然でした。 ただ、朝にいつもと様子が違うと両親が話していて、病院に連れて行くか相談していました。 これまで、朝ごはんをねだらなかった事はなく、おかしいと。 食べるのが大好きな子で、「この子がご飯食べなくなったらいよいよだ」と常から話していました。 私はいつものようにブラッシングをしたり飲み水を替えたり…だけどそれが最後になってしまい、その時間帯に見た姿が、最後に見た「生きている姿」となりました。 最期を看取る事ができませんでした。 私だけ、急変した猫の様子を知りません。 死んだと聞かされ、家族が皆で泣いていて茫然としました。 老いて衰えはあってもあまりに元気だったから、これからだと思っていました。 これから、おむつしたり介護が大変になるんだろうなと。 昨日、「もうこの子は長くないよ」と母が言った時にも、母自身も家族もまさか「今日がその日」だなんて考えもしませんでした。 少なくとも月単位のニュアンスでした。 家族によると、夕方初めて寝床で失禁、足と呼吸に異変、僅か15分ほどで息を引き取ったそうです。 私は、うちの猫の寿命を「あと1年以内」と見込んでいました。 いずれにしても弱っていく過程の期間があると思っていました。 期間がひと月とか数か月あるのだろうと想像していました。 それが昨日、たった15分ほどで急変して亡くなるとは思いもよりませんでした。 まさか昨日で全部最後だなんて誰も思っていませんでした。 朝ごはんも昼ごはんも、水を飲むのも何もかも最後になりました。 妹も私と同様、衰弱の期間があると考えていました。 妹が昨日注文した、大好きな猫のミルクが今日届きました。涙が止まらないです。 家族が、残った餌の在庫を見て「もっとあげれば良かった、喜ぶのに…」なんて呟くのが一番どうしようもなくて、泣けてやりきれません。 日常の一コマが全部最後の○○になり、急に全てが過去形になりました。 生きて生活していると、煩わしく面倒な事が多々あります。 現に昨日が来るまで、年々大変になるトイレの世話やら、早食いしての嘔吐による汚物処理やら、嫌だなぁと辟易する瞬間は家族皆にありました。 それが、忽然と全てなくなり、見える姿として触れていた存在が居なくなり、生活空間に残滓ともいえる痕跡すら消えていく事が、今度は寂しくて堪らないと。人間は勝手です。 煩わしさこそが、大切な相手が生きて活動している証そのものだったのだと、16年間一緒に居たニャンコに教えられました。 「自分は相手に何をしてあげられたか」こそ、死別後の幸せや救いで、面倒がってぞんざいにした記憶は後悔となります。 人は、時間や労や物を惜しみますが、まさに惜しみなく与える事が愛情というもので、その慈しみが後にまだ生き続けている人の幸せに繋がるのだと知りました。 今は哀しくて寂しくてどうしようもないのですが、幸せな猫だったと言い切れる事、奔放で気ままでドライでどこまでも自然体、基本的に食べ物しか眼中になく意地汚い猫の様子を思い出すとまた救われます。 猫を飼う事を決め、猫を選び、誰よりも可愛がった妹が、別れの時、猫に「ありがとう」と言っていました。 私もそうでした。 最後は、ありがとうと唱える以上にしっくりくる終着点は無く。 つい名前を呼んで感極まったり心は色々忙しいですが、少しずつ落ち着いていければいいなと。 ニャンコの教えを胸に、両親や大切な人とのこれからを過ごせる事はきっと幸運です。 惜しみなく、全力で惜しむように、生きている内だけは。 彼女はこれからもずっと、家族に心底愛され、飽きもせず誰かに可愛いと言ってもらえる、気の優しい、とてもとても良い猫です。 PR
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